【福沢諭吉】著書紹介(あらすじ・感想・評価)

思想・哲学

著者:福沢諭吉の紹介と代表作品

1835年1月10日、摂津国大坂堂島新地五丁目(現・大阪府大阪市福島区福島一丁目)生まれ。
死没:1901年2月3日(66歳没)

慶應義塾(現在の慶應義塾大学)の創設者であり、商法講習所(後の一橋大学)他多数、創設にも尽力した。
1984年11月1日発行分から日本銀行券一万円紙幣、表面の肖像に採用されている。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」は諭吉の言と誤解されることが多いが、学問のスゝメ冒頭には「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり(言われている)」と書かれており、正しくは諭吉の言ではない。出典元は諸説あるが、トーマス・ジェファーソンによって起草されたといわれるアメリカの独立宣言の一節を意訳したものというのが有力説である。

 

学問のすすめ

発行日:初編 1872年(明治5年)2月

 1872年(明治5年2月)初編出版。以降、数年かけて順次刊行され、1876年(明治9年11月25日)十七編出版を以って一応の完成をみた。その後1880年(明治13年)に「合本學問之勸序」という前書きを加え、一冊の本に合本された。~Wikipediaより

学問のすすめ:ひとこと感想(2019年3月17日読了)

大切だと感じたいくつか書き留めておく。

 

  • 『賢い人間と愚かな人間の違いは、ひたすら学問をしたか、しないかによるのだ』

 

  • 『学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり、下人となるなり』(物事を知らない人は、望んだとしても難しい仕事には就けない)

 

  • 『人、学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり』(寺小屋では小学校1年~2年で教えていたこと。人として生まれてきたからには、世の中のためになることをしよう。そのためには勉強が必要だ。加えて、人間がそういう使命を果たしてきたから、この世の中が進歩してきたということも忘れずにいたい。

 

  • 『独立の気力なき者は、必ず人に依頼する。依頼する者は必ず人を恐れる。人を恐れる者は、必ず人に諂ふものなり。常に人を恐れ、人に諂ふ者は、次第にこれに慣れ、その面の皮鉄のごとくなりて、恥ずべきも恥ぢず、論ずべきも論ぜず、人をさへ見ればただ腰を屈するのみ。立てと言へば立ち、舞えと言へば舞ひ、その従順なること家の飼ひたる痩せ犬のごとし。独立の気力なき者は、人に依頼して悪事をなすことあり。まず、自己の独立を謀り、余力あらば他人の独立を助け成すべし』(福沢は、ボランティアも悪くないが、まず自分の身を固めることが先決と言っている)

 

  • 『顔色容貌を快くして、一見直ちに人に厭はるるととなきを要す。顔色容貌の活発愉快なるは、人の特義の一箇条にして、人間交際においても最も大切なものなり。人の顔色はなほ家の門戸のごとし。広く人に交日りて来客を自由にせんは、まず門戸を開きて入口を清掃し、とにかく寄り付きをよくするこそ緊要なれ。しかるに今、人に交わらんとして、顔色を和にするに意を用ひざるのみならず、かへって偽君子を学んで、ことさらに渋き顔を示すのは、戸の入り口に骸骨をぶら下げて、門の前に棺桶を安置するが如し』(不機嫌な人のまわりには人は寄ってこない。たとえ辛いことがあっても、人前ではにこやかに接することを心掛けたい)

 

  • 『よい政府をつくるのは、よい国民である。国民がみな学問を志して物事の道筋を知り、文明を身に付けるようになれば、法律もまた寛容になっていくだろう。法律が厳しかったり、寛容だったりするのは、ただ国民に徳があるか、ないかによって変わってくるものである。

 

  • 『ときどき仕事がないのを社会や政治のせいにして文句を言っている人がいるが、それは違うと思う。ちょうどみんなで狩りをしているのに、自分だけ狩りをしないでエサだけ寄こせと言っているようなものだ。狩りのし方が進化しているのだから、進化したやり方を覚えて参加する努力が必要だろう。学ばなければエサは取れない。明るい未来は来ないのだ』

 

【感想】

 この世の成功哲学の集大成だと思う。

 学問をして得た知識より、学問を志す心構えが大切。ポジティブに、前向きに、世のため人のため、果てはそれが自らの幸福につながることを、厳しくも教えてくれる貴重な本。

 福沢が開設した『寺小屋』では、小学1年~2年でこれらを教えたそうだが、今の日本人が忘れかけたアイデンティティーを取り戻すためにも、幼少期からこのような教育が必要ではないかと感じた。

 

 

評価:10/10点

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